高麗人参の歴史について その二

高麗人参は、中国では紀元前の漢の時代から使われていましたが、日本に渡来したのは奈良朝天平時代とされ、

天平11年(739年)渤海の使者が天皇に奉じた記録が残っています。

勿論、それは野生の高麗人参で、奈良の正倉院の御物の中にも保存されています。

高麗人参が通常生薬として用いられるのは、4~6年生のもので、6年以上になると腐りやすくなるため

栽培されません。

そしてその後、最低10年以上は、同じ土地で人参を作ることは不可能となり、これが人参を高価にする理由の一つです。それほど土地の養分を吸い込んでしまうということでしょう。

高麗人参は、収穫したてのものを水参といいますが、水参のままだとすぐに腐ってしまうため、

収穫後、すぐに白参、又は紅参に加工されます。

白参とは、そのまま天日干しで乾燥させたもの、紅参とは蒸して乾燥させたものです。

蒸して紅参にすることで、紅みがかった飴色となり、澱粉が固化して質も堅くなります。

人参は元々、非常に栄養価の高いものですので、害虫もつきやすく保存するのに注意が必要ですが

紅参にすると質が引き締まって堅牢となり、虫もつかず、長期保存が出来、輸出も容易になります。

韓国では、6年生根で作った紅参は、政府の専売品として、長年、日本やアメリカ、ヨーロッパに輸出されていましたが、近年では、民間業者でも栽培・加工・販売が許されるようになりました。

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